島根県大田市大田町の喜多八幡宮(白石聡史宮司)で10月15日例大祭がありました。伝統の高野聖、負幟の祭礼風流行列が大田市内の約2㎞を練り歩いた様子をご紹介します。
平安時代創建と歴史ある神社 喜多八幡宮とは
祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰。
御神徳は必勝祈願・健康長寿・開運厄除・商工業繁栄です。
創建は、平安時代初期の延暦年間(782~806年)と伝えられています
毎年10月15日の例大祭に行われる高野聖と負幟が練り歩く行列は「大田両八幡宮祭礼風流」として県の無形文化財に指定されています。
境内には、神楽殿や宝蔵庫があります。
祈願参拝に訪れた武将たち
喜多八幡宮には大内義隆、小笹原長隆、毛利隆元、毛利輝元、吉川元春、尼子晴久など、名だたる戦国武将が国家安泰、五穀成就など祈願参拝に訪れました。社殿造営に寄与しましています。
布施臣が豊前国の宇佐八幡宮を勧請し、これを本社とし、地主神社、来成神社を境内社としました。その後、長谷加賀守平朝臣は本殿造営し天下泰平を祈願、
銀山奉公大久保石見守(芋代官様と言われる方です!)、竹村丹後守、歴代代官等も崇敬し参拝したと伝えられています。吉永藩主加藤明成、明友はご祈願所として崇敬し神器など奉納しました。
大田両八幡宮祭礼風流
今年の喜多八幡宮の行列には高野聖と負幟が列を作り、その後ろに高さ約3mの大天狗が続きました。氏子地区を練り歩いていきます。
行列が始まると町に太鼓の音が響き渡き、町の人たちも家の前に出て行列を眺めていました。
高野聖は中世の頃、当社の神宮寺であった真言宗圓應寺に回国聖が来訪のおり当社に参拝したことに由来。平安時代に仏や経典を背負い箱に入れて巡礼していた聖宝導師の姿を模したものと言われ、金銀や色鮮やかな刺繍で飾られています。
負幟の約2.5メートルの高さになる芯柱の突端には金色の玉がつけられ、彩色をした20本のへら状の竹を垂らす独特の形。
最近は国際ボランティアで大田市に来ている外国人の方も一緒に行列に加わるようになりました。
途中から小学生が担ぐ神輿も加わり「わっしょい、わっしょい!」と声をあげて元気よく歩いていました。
子どもたちの後を行列がついて行きますが、どれもかなり重いようで時々休憩しながら進みます。
最後の参道の坂道を支えられながら登り、鳥居よりも背の高い負幟や高野聖、大天狗もをぐぐるときは前かがみになって一苦労。降りるときも大変そうです。
ようやくたどり着くと先についていた子どもたちの声が響き渡っていました。
社務所前ではくじ引きが行われ、境内は賑やかでした。
前日には拝殿で前夜祭が行われ、大屋神楽社中による石見神楽があり「大蛇」「日御碕」等が奉納されました。ここしばらくは前夜祭に人が多く訪れ、若い人が増えているそうです。
平安時代から続いてきた喜多八幡宮。今も氏子さんたち、地域住民らが協力して行事などが続いています。
感染症などの影響でお宮やお寺の有り様も変わってきましたが、変わらず守られているこのお祭りを大切にしなければと思いました。
喜多八幡宮について
喜多八幡宮
住所:島根県大田市大田町 イ2743
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