大田で頑張っている方を発掘するコーナー『おおだの素敵な人特集』今回は、リアルフィギュアを製作する造形作家 かたやまひろしさんをご紹介します♪
皆さんは「原型師」という職業をご存知ですか?
フィギュアや玩具などの原型を作る職業で、手作業で行うものや、デジタルで造形を行うもの両方があります。
島根県大田市を拠点に活動しているかたやまひろしさんは、国内ホビー製作メーカー「海洋堂」で初めて『北斗の拳』のリアルフィギュアを制作された造形作家です。
海洋堂を退社されてからは、地元大田の石州瓦の鬼師として鬼瓦の原型の制作に携わっておられました。
現在も多くの人がかたやまさんの手がけた作品を支持しています。
一番最初にプラモデルに触れたのは…
かたやまさんとプラモデルとの出会いは小学4年生の頃。
車のプラモデルを作ったのが最初だったそうです。
5つ上のお兄さんの影響で作り始められました😊
海洋堂との出会い
プラモデルが好きだったこともあり、中学2年生の頃には『ホビージャパン』というホビー情報誌を毎月読むように。
雑誌内でフィギュアの造形企画製作・販売を行う会社、海洋堂のページを見つけてからはファンレターのつもりで、自分の作ったものを写真で撮って送っていたそうです。
しばらくやりとりを続けるうちに、写真だけでなく、プラモデルそのものを送るようになっていきましたが、中学3年生の時に送ったものへの返事が3ヶ月間なかったのだそう…。
そして高校生になった頃『ホビージャパン』6月号を見ていたら、その時送った「ゴジラ対モスラ」「ゴジラ対キングコング」のプラモデルが掲載されていて驚き!
プラモデルが好きということをつきつめて本物そっくりに制作し、さらに海洋堂に送る…
かたやま少年の情熱が感じられますね🔥
造形作家になるまで
雑誌に掲載されたことがきっかけで、高校卒業後は海洋堂へ入社し、3年間住み込みで働きました。
昼間は量産体制工場で仕事。夕方6時以降~夜中の2時くらいまで、花形の先輩造形師の横で手伝いをしながら、自分が作りたいものを作っていました。
そして、19歳の時にかたやまさんが作った『北斗の拳』が発売され、この時にプロの原型師として認められました。
そこから9年間海洋堂で働いたのち、地元へ帰郷。
石州瓦で鬼瓦を作る鬼師として10年活動されたのち、再び海洋堂とのご縁があり、現在はフリー作家として作品を作り続けておられます。
今までの作品紹介!
「北斗の拳」シリーズ、大阪フィギュアみやげ カプセルトイ、三山ひろしさんフィギュア
などなど!
かたやまさんのアトリエには陶器製のガンダムがありました!
パーツはひとつひとつ別で作られ、組み立てて完成させるという貴重なもの✨
腰から上の部分があり、サイズは人の上半身とほぼ同じサイズ。
なかなかの迫力を感じました・・!
造形作家を目指すには
かたやまさん曰く「目指してなれるものではないのが本当のところ。」なのだそう。
「僕はたまたま造形師として食べていけるようになったけど、楽な道や近道はない。
人が今までやったことのない成功したことのないジャンルをやってみて、成功するのが一番簡単で近道。」と自身の経験を振り返ってお話いただけました。
「いいものを作る」ことよりも大切なこと
フィギュア製作が好きな人に向けて、かたやまからメッセージをいただきました!
「「いいものを作ろう!」と思って作るよりも、たくさん様々なものを作ることで見えるものがある。
僕の場合、『北斗の拳』のフィギュアを作ったとき、漫画は何百回も読み込んでシーン1コマ1コマ覚えているから、アニメのキャラクターよりも100倍いいものが作れたという自信があるんです。
人が成功させた道を踏襲して、成功した人なんて一人もいません。
作ることが楽しいと思えるのが一番。
好きなままでいたいなら、欲張らないこと。
「『天才かたやまひろし』なんて呼ばれてるんですよ、ごめんなさい(笑)」と冗談めかして笑うかたやまさん!
国内だけでなく、海外でもその名を知られるかたやまさんですが、地元では「そんな人が大田に?」と、造形作家としては知る人ぞ知る存在になっていることが、本当に残念だなあと思ってしまう発掘スタッフです。
素顔は気さくな方ですが、仕事場にしている部屋の中には撮ることができない作品があちこちに。
誰もが知っているキャラクターが並んでいましたよ!
改めて、天才とはこういう人を指すんだなあと実感しました。
今でも人とのつながり出会いを大切にして、新しい挑戦を続けるかたやまさんのご活躍をこれからも期待しています!
造形作家 かたやまひろしさんについて
Facebookで普段の様子を発信していらっしゃいます。ぜひそちらもチェックしてみてくださいね😊